この街の歴史は1日では語れないです。でも知るきっかけになってくれれば。【前編】
後半です。というより長くなってしまうので2ページに分けました(笑)。後半は書く内容あるのかな?(笑)。
まだまだ歩きます。どんどん行きます!
鹿ノ谷駅が見えました。
到着。ちょっと疲れました。
何か見ています?なんでしょう。
昔の鹿ノ谷駅は大きいものだったそうです。車線もたくさんあったそうです。
鹿ノ谷駅。
上から見た鹿ノ谷駅。
まだ進みます。進みます。下ります。下ります。
ここの橋はもう「大正」という言葉が出たくらい古いもので未だに奥の橋は現役で活躍されております。
Post from RICOH THETA. #theta360 – Spherical Image – RICOH THETA
これを見るだけでも年季というか歴史の重みを感じてしまいます。
今までただ単に「橋がある」という認識でしたが実際目の前に立つと歴史が詰まっております。
バスの時間とりましてあれに乗ります。
初めて夕張市であのバスを見た時の衝撃は忘れられません。「次は市ヶ谷富久町」
「黄色いハンカチロケ地前」到着。
昼食後、今日振り返っての座談会が行われ終了予定時刻を超えてもなお昔の夕張について熱く語っておりました。
私自身生まれる前の年に炭鉱事故で多くの犠牲者が出たというのは小学生の「ゆうばり」という教科書で勉強していたというのを覚えております。社会を経験し右左、人の感情を少なからず感じ取れるようになった年齢になって改めて昔の夕張を知っている人の話を聞いてみると、その時代にいないと分からないものばかりで簡単には正解は出てこないと思いました。
よく初めて訪れた人が「この街って地域によって雰囲気が違うね」とよく感想を口にするのを思い出しましたが、昔の夕張について1日だけですが足を踏み入れた自分としてそれまでの歴史を聞くとなかなか難しいものを感じました。
当初は「タモリ倶楽部」な雰囲気でしたが振り返ると「街の歴史」を知るきっかけになったと有意義な時間を過ごさせていただきました。
自分自身まだまだ歴史を語るというのはおごかましい身ですが子どもたち、次の世代に向けてこの街がある限り語り継がなげればならないと思いました。難しいことせず自分ができることをしていければと思います。
夕張市は遊び場もないし、買い物するところも少なく都会に比べて一見見劣りするところがありますが、昔の街の話を聞いて、人情や、他人を敬う気持ちは人一倍持っている街なのかなと思いました。ただ単にその表現方法をできないだけであって。
そう思いながらアイスクリームを食べながら家路に向かいました。
私も少しずつ後世に語られるよう色々と進めようと思います。
ありがとうございました。
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